ミューズの贈り物

ある事情があって、3年前にキッパリと酒をやめた。
それまでは、大酒飲みだった。

 

その頃の私は、東京の片隅で1人暮らし。
アルバイトで何とか生計を立てつつ、労働後の疲れた体に鞭打って、出版社へ持ち込むマンガを描いていた。

 

何もかも、うまくいかず、心も体も磨り減っていくような毎日。
そんな中、週に1度、酒を飲むことが、自分への欠かせないご褒美だった。
休みの前日の夜は必ず、確実に酔えるように大量の酒を購入。
ツマミは主に、タバコと安定剤。
好きな映画を観たり、音楽を聴いたりしながら、いつも部屋で1人で飲んだ。
倒れるまで飲んだ。
倒れるために飲んだ。

 

酒の効能として「全能感に満たされる」ということがあると思う。
それはバッカスの魔法。
この魔法のおかげで、人はコンプレックスから開放される。
普段、気が小さい人は、蛮勇に満たされ、軍神ヘラクレスのように。
異性に対して奥手な人は、大胆に変身、恋のカサノバや、魅惑のアフロディーテのように。
そして、アーティストたちには、ミューズが舞い降り、自分が何か素晴らしい作品を作れるような気がする。

 

ある日、それは起こった。
休みの前日の夜、私は、例によって、部屋で1人、杯を重ねていた。
苦手な人が多すぎ、うまくいかないバイト先での人間関係。
ボロボロになって働いても、まったく良くならない困窮した暮らし。
そして、最後にすがった夢であるマンガも、納得いく作品、結果が作れずにいる。
自分は「負け犬」であるという思い。
ひび割れた心の荒野に、ただひたすらに、癒しの酒を注ぎ続けた。

 

夜も酒も深くなったその時である。
混濁した私の意識に、突然それは生まれた。
まるで、天からふってきたように、素晴らしい作品のアイディアを思いついたのである。
それはまさに、孤独な私の魂に舞い降りた、ミューズの贈り物だった。
まだ漠然としてはいるが、しかし確実に素晴らしいスケールを持ったアイディアだった。
この広い宇宙に生まれた、すべての命。
その命を傷つけながら生きていくこと。
弱者の怒り、強者の涙。
死に逝くさだめ、めぐる時、生まれ変わりの季節。
ひたむきな祈り。
儚くも愛しいすべての命が、呼び合い、ぶつかり、砕け散る、必死のきらめきの銀河。
そのすべてを、あますところなく、プラネタリウムのように映し出すことのできる作品だった。
涙が流れた。
まだ、ハッキリとこの世に形を成してはいない。
しかし、私の中に確実に宿った、その作品の強さ、大きさ、そして優しさに。
私は、大切な指輪を宝石箱にしまうように、そのアイディアをメモ用紙に書き込んだ。
そして、喜びと安堵に包まれ、いつしか眠りに落ちていった。

 

翌朝。
窓から差し込む光に目覚めた。
大切な忘れ物に気づくようにハッとして、メモを探す。
夢ではなかった。
机の上にそれはあった。
安堵のため息をつき、まだ重い体を起こし、昨夜のミューズの贈り物に目を落とした。
そこには、こう書かれていた。 ↓

 

スペースオペラの幻の傑作

……………
世の中、シラフでがんばってる人が一番えらい!

(おわり)