7月のある朝。
認知症の父が台所で倒れていた。
すぐに救急車で搬送。
「尿路感染症」と「誤嚥性肺炎」という病気で約10日間入院した。
退院した翌々日の朝。
父が、スペランカーの頻度でまた倒れていた。
「えっ!?また!?」
ショックで自分も倒れそうになりながら救急車を呼び、そのまま また入院。
再発ではなかった。
前回の入院の時、院内でコロナに感染しており、退院後にそれが発症したのだった。
私は毎日、赤ちゃんもビックリな父ちゃんの全開フル失禁を、密着状態、汗だくウンチまみれで後始末している美しき介護者である。
…ということは完全なる濃厚接触者。病院の方のススメもあり、街角PCR検査を受けに行った。
検体を提出した翌日、電話がかかってきて「陽性でした」のコロナ告知!…を、その時すでに発熱と頭痛でグッタリ寝込んでいたベッドの上で聞いていたので「でしょうね」と思った。聞くまでもなかった。
本当にビックリするぐらいわかりやすく感染していた。
「コロナはただの風邪!」とかワーワーゆうとる人たちがいる。
しかし、いざなってみると、私の症状は、頭痛、発熱、のどの痛みと痰のからみ、さむけ、関節(特に腰)の痛み、味覚嗅覚のポンコツ化、ひどい疲労感などなど…つまりただの風邪と同じ感じであった。
コロナ陽性者になると、何かしらの公的対策機関っぺえ所のスタッフらしき方々から、なんかバンバンに電話がかかってくる。
しかもそれがなぜかすべて、全然知らん携帯の番号からなのである。
これでは出るのに躊躇する方も多いのではないだろうか?
闇金ウシジマくんの多重債務者の顔で「やだな」と思いながら出ると、発症した日や症状の聞き取り、自宅療養期間の説明などをされる。
「発症日から10日間は外出禁止。食品などの入った自宅療養パックを送るので手続きをするように」とのこと。
しかしメールで送られてきた申し込みフォームの入力の仕方がチンプンカンプンだったので諦め、これは絶対に秘密だが、必要なものを買い溜めするべく、100%感染者の足取りで、ゾンビみたいにフラフラ近所のスーパーまで歩いて行った。
ところでこれだけ毎日多くの感染者が出ているのに、もう行動制限はなくなった。
今までは、コロナじゃなくて失業で死人が出るほど制限をしてきたのに。
国は「みんなにコロナに感染してもらい、免疫を持ってもらう」という方向に急に普通に舵を切った。
どんなに気をつけていても、もう誰がかかっても不思議ではない状況になり、とんでもない負担が医療関係者の方々にのしかかったように思う。
父の一度目の入院の時のこと。
病院に着くと、他にも患者を乗せた救急車が何台も次々にバンバンやってきていた。
担ぎ込まれた方はみな、院内に入る前にまずはコロナの検査を受ける。
戦場じみた雰囲気の中、防護服に身を包んだ女性の方が、リーダーらしき男性に「今、搬送された○○さん、コロナ、陽性です。」と告げる。
すると男性は「陽性か…」と、ゆっくりため息をつき、がっくり肩を落とし、しばし目を閉じ、やがて迷いをふりきるようにキッと顔を上げ、職務に戻っていかれた。
運び込まれた方が「陽性」とわかれば、気を使わなければいけないことや、手間、作業などが、きっと膨大に増えてしまうのだろう。
それでも腐ったり、嘆いたり、投げ出したりせず、ご自身の仕事に必死で向き合っておられるのだろう。
「なんて立派な人たちなんだろう…」
救急車だけに急に乗ったので身だしなみなど整えられず、寝間着ジャージに、頭ボサボサ、髭ボーボーで脂ぎった顔という、立派じゃない人の鏡みたいな私は自分を恥じた。
ところでよく言われている「人によっては残ってしまう後遺症」について。
私はこの後遺症ガチャ、どうやら当たってしまった。
熱や体の痛みがひいて動けるようになった後、「嗅覚」がスッポリとなくなっていることに気づいた。
認知症の父がウンチをもらしていても気づかず、ウンチだけにクソ困っていた。
しかし2週間ほど経ってから徐々に回復。
今はすっかり戻り、父の散歩を兼ねて一緒にスーパーで買い物してる途中など、突如漂ってくる糞臭を感じ、無事に悲鳴をあげている。