日本マンガ史に超巨大な足跡を残した『進撃の巨人』。
完結してからもうかなりの日が経ったが、まだまだ自分の中で熱が冷めない。
スキあらばついつい最終巻を手にとり、諌山先生が心臓を捧げたこの物語の見事な結末に涙している。
以前、実写映画が公開された時に書いたコラムと重複してしまうが、もう一度言わせて頂く。
「私はこの作品を何も知らぬまっさらな状態で、リアルタイムで読めて本当に運が良かった。」と!
今から読むという方は、どうしても大なり小なりネタバレが入ってきてしまうだろうから…
(町山智浩さんの脚本で実写映画化された時に書いたコラム ↓)
それにしても何度も言うけど「10巻のあのシーン」はワシャ、ホントにビックリしたナ!
「すべてをひっくり返すようなものすごく大きなことが起こってるのに、それをあえてものすごく小さなコマで見せる」という、超絶技巧が炸裂した「10巻のあのシーン」!ワシャ、ホントにビックリしたナ!
この頃の諌山先生、きっと何かに目覚めて、冴えに冴えてて、アッカーマン一族みたいに「どうすればいいか」が手に取るようにハッキリわかっておられたのだろう。
私はこの作品を最初は単行本でまとめて読んでいた。
しかし、続きが気になってガマンできず、月に一度、マンガ喫茶で《別冊少年マガジン》の連載を追うようになった。
「どうか誰も読んでませんよーに!」と祈りながら雑誌コーナーに進撃すると、たいていやっぱり誰かに持っていかれてしまっており、返却されるチャンスにかけて奇行種の動きで店内をウロウロ行ったり来たりたたずんだりすることも多かったので普通に買うようになった。
そしてお堅いニュース番組でも報道されててビックリしたが、最終回が掲載された《別冊少年マガジン》はどこの書店も売り切れ!結局、悲鳴をあげてマンガ喫茶へひた走る進撃の狂人になっていた。
雑誌のほうで連載を追っていて驚いたのは、ときどき「一挙二話掲載!」というムチャをさせていたことである。
これはきっとキツイ。
単純に考えて、いつもと同じ締め切りで、いつもの倍のページを描かねばならない。人間の活動限界を超えていると思う。作家さんにしてみれば、せまりくる「地鳴らし」ぐらい絶望的な気持ちになるのではなかろうか?
この「人気作は一挙二話掲載!」という超ムチャぶりは、「ノッている作家を過酷な状況に追い込み、ギリギリのプレッシャーの中で生まれるかもしれぬ、さらなる才能の大爆発に賭ける!」という、講談社伝統の必殺編集奥義なのかもしれない。
80年代の頃、ドンヨリ青春マンガの哲人、安達哲先生が『キラキラ!』という超人気作を《週刊少年マガジン》で連載なさっていた。
「安達作品じるし」な、読んでてとにかくハードでつらい、キャラクターたちが最悪の追い込まれ方をする最高の盛り上がりを見せている頃、やはりこの「一挙二話掲載」があった。
人物デッサンはゆがみ、背景は殴り描きに近いコマもちらほら。素人目にも「これはきっと締め切りがきつかったんだろうな…」とハッキリわかった。
しかしたしかに、絵は荒れているが、熱気も吹き荒れていた。
ギリギリの状況でリミッターがはずれ、大爆発した作家のエネルギーがページから吹き出してくるような熱い感覚がたしかにあった。
『進撃の巨人』にも同じく「絵は荒れているが熱気も吹き荒れている!」という大爆発回がたびたびあったと思う。
絵のことをとやかく言われることが多い諌山先生だが、私はまったくヘタだと思わない。
以前、雑誌《BRUTUS》に、まだ『進撃の巨人』が連載される前、初めて商業誌に掲載されたSF短編作品が載っており、すでになかなかハイレベルな作画であった。
流れ、スピード、衝撃がテンポ良く伝わるアクションシーンのダイナミズムもこの頃から凄い。まったくヘタだと思わない。(ちなみにこの時の『BRUTUS』には諌山先生が投稿した時のプロトタイプ的な『進撃の巨人』の貴重な原稿なども載っており、非常に興味深い特集でした。)
それに何といっても巨人たちのあの「微妙なさじ加減のイイ感じにイヤな感じ」は、マンガ界広しと言えど、描けるのは諌山先生だけではないだろうか?
ハイパー画力な他の作家さんによるスピンオフ作品や、毎回神作画だったアニメ版も、巨人のこの「独特すぎる不気魅力」はちょっと薄口で、原作に及ばないとハッキリ思った。
『進撃の巨人』の絵がチラホラ荒れがちだったのは、締め切りがきつくて作画にかけられる時間がかなりタイトだったのではないだろうか?
実際、あのストーリーを考えるだけでも、時間がいくらあっても足りないぐらい大変!
諌山先生は「アッ!」と驚く展開と「この後、どーなるの?」という興味津々の引きを毎号必ず律儀にきちんと読者にプレゼント。『進撃の巨人』という作品タイトルの意味がわかる瞬間も鮮やかだった。
インタビューで「ネームが終わったら、今月も何とか生き延びた…とホッとする。」と話しておられたが、作画に入る前の、このネームの段階で本当に大変な労力を使っておられたと思う。
それにだいたい、キャラクターが「天才」という設定の場合、行動や考えが、本当に天才的でなければならない。それを作者が考えなければならない。
みんな大好きアルミンというキャラクターで、諌山先生はこの難問も何度もクリア。
特に20巻の、あの驚愕と号泣の陽動作戦。
ベルトルトと共にみんな鮮やかにだまされたはずである。
そんな天才巨人絵師にして、天才ストーリーテラーでもある諌山先生が作ったこの残酷な世界が、まだ謎に包まれていた頃のこと。
「映画とか好きな人は、ああ、そのオチかあ…っていう感じでそんなに大したものでもないんですよ。」というようなことを雑誌のインタビューで言っておられた。
私はこれを読んだ時「戦っている相手が巨人なのではなく、エレンたちが小人…っていうようなオチかな?」と予想した。
はずれた!
『進撃の巨人』の世界の謎は、つまり、〇〇マ〇〇監督の『〇〇レ〇〇』だった。
私はこの世界の謎がハッキリと明かされ、いわゆる「マーレ編」に突入してからは、「作品の大きな魅力の1つであったミステリー要素がなくなってしまった。物語をここから面白くするのはなかなか難しいのでは…?」と予想した。
はずれた!
今までにも増して面白さマシマシ!
衝撃の展開と、ハイテンションバトル、濃密かつ泣ける人間ドラマの怒涛のコンボでクライマックスまで進撃!
王蟲の大海嘯もドン引きの「地鳴らし」を止めるべく、みんなが力を合わせて戦う、絶望と希望が激しく交錯しまくるファイナルバトル「天と地の戦い」が最高に熱い!
起爆剤を作動させるため一人特攻するジャン。
みんなを無事に脱出させるべく爆炎の中に残るライナー。
頭部を砕かれつつもガッシリとエレンをつかまえるアルミン。
それを機に、雷槍で突破口を開くリヴァイ。
そして最後の決着をつけるのは……!
エンターテイメントの王道を貫き、すべてのキャラクターに見せ場をキッチリと丁寧に作った諌山先生の愛に拍手である。
エレンを弔うため戦いの場を去ろうとするミカサや、最後の説得に向かうアルミンが、立体機動装置を武装解除しながら歩きだす細かい描写も激闘の終幕感を大いに盛り上げており素晴らしい。
人類の八割が踏みつぶされ、問題も山積み。すべてが円くおさまったわけではないので、この言葉は使えないのかもしれないが、大団円感は超特大だ。
また、最後のギリギリまでギャグをブッこんでくるのも凄い。
感動にまかせて抱きつこうとしてガビにうっちゃりをぶちかまされるファルコ、アルミンにぶん殴られるエレンのブサイク顔などなど爆笑必至。
最後の最後で主人公が、まさかあそこまでかっこ悪いことを言うとは…
この世で一番かっこ悪いセリフとして名高い「ババア、ノックしろよ!」ぐらい最高にかっこ悪くて最高だ。
笑い、泣き、驚き、震え、燃える!
本当に熱いマンガだった。
続きが気になってしかたなく、掲載誌の発売日をチビッ子みたいに指折り数えて待ち焦がれた。
「マンガの連載を夢中で追いかける喜び」というものを『進撃の巨人』が久しぶりに思い出させてくれた。
未読の方は、ちょいちょいネタバレしてしまっているこんなブログなど読まず、なるべく情報を入れない状態でぜひ!
あまりの驚きと興奮の連続に、きっとあなたはこう思うだろう。
「僕はここで 『進撃の巨人』を読むために 生まれてきたんじゃないか…」と!
そして最後まで読み終えた時…きっとこうつぶやかざるを得ないだろう。
そう!
「諌山先生… 『進撃の巨人』を描いてくれて ありがとう…」と!