犬は飼わない

子供の頃、家で犬を飼っていた。
犬種は柴犬。武装テロ集団だって思わず銃を置いて頭をナデナデせずにはおれない無敵の愛くるしさで昨今では世界的にも人気爆発の日本が誇る犬種だ。
血統書つき。名前はバン。命名家族会議で「家の番をするという意味でバンにしよう」という父の案が採用されたのだ。家で一番高価なものがファミコンという貧乏っぷりだったので番犬はいらなかったが。そして死んだじいちゃんは最後までなぜかチョビ助と呼んでいた。

セールスマンなどの見知らぬ人物が訪ねてくると、名の通りそれはもう獰猛にワンワンと吠えてくれたものである。しかし私が学校から帰ってきても同様にワンワンと吠えまくりあげていた。赤カブトと対決中の銀の顔でひとしきり牙をむいた後「ん?ああ…なんだお前か…」という感じで吠えるのをやめ、あくびをし、じいちゃんにチョビ助と呼ばれ、ヘラヘラ走り寄っていた。
「犬は飼い主に似る」というが「血統書」を「決闘書」だと勘違いし「ウチの犬はいざという時は高橋ひろしのマンガの犬ぐらい闘う。来るなら来い!泥棒どもよ!ファミコンは渡さん!」とずっと思っていたバカな私に似てしまったのかもしれない。

そんなバンの散歩係は主に私だった。
立ち止まりその場でグルグル回り始めたらそれはウンチのサイン。
犬にしてみれば当然だが、放課後女子とかがウジャウジャ歩いていても露出狂のオッサンもビックリなぐらい普通にウンチ開始。
私はこれを恥ずかしく思い、バンが「絶・天狼抜刀牙」ぐらいグルグル回り始めると申し訳ないがダッシュで人気のない場所まで連れていったものだ。

ある夕方、いつも通り小さな体でパワフルに前進するバンに引きずられるように散歩をしていると、首輪がスポーン!とはずれてしまった。
解き放たれ、元気いっぱいうれしそうに走り出すバン。
あせって追いかけると相手は加速装置のスイッチが入ったみたいにますますターボ全開!
50メートル走を全力必死で走り終えた後「老人ホームの運動会みたい」と言われたほどの私の鈍足では全然追いつかない。
バンとの距離は「009 VS おじいちゃん90歳」ぐらいアッという間にどんどん開いていく。

ヤバい…
近辺には当然、車も走っている。そして何よりもすぐ横に国鉄(JR)の駅があり、巨大な砲弾のごとき列車が轟音を響かせて絶え間なく走っていたのである!もしもバンがハネられてしまったら…!

パニくる頭の中、ハッと家に置いてあった「犬の飼い方」的な本のことを思い出した。
そこには「もしも散歩中に犬が逃げてしまったら?」という項目があり、「そんな時は無理に追いかけず、逆に犬に背を向けてみましょう。すると犬は不安になり、自分から戻ってきます」という説明文と、背を向けた飼い主をさみしそうに見つめる犬のこんな感じの写真が載っていたのである。↓

今こそあの技を使う時じゃ!
私はバンを追うのをやめ、あの本に書いてあった通りクルリ背を向けた。待つことしばし。
そろそろいいかな~?さみしくなって戻ってきたかな~?…とチラリ振り返ると絶望的はるか彼方を1ミリも振り返らず元気いっぱい走り去っていく動物映画のエンディングみたいな小さなバンの姿があった。背を向けた飼い犬をさみしそうに見つめる飼い主になっていた。

汗だく半ベソ半狂乱で「バ~ン!バ~ン!」と叫びながらヨタヨタと追いかける私。そんな私を時々ふりかえってはハシャぐようにまた走り出すバン。爆音を響かせて走りまくる列車。
悪夢のような追いかけっこが終わったのはもう街が夕闇にトップリと包まれた頃。駅前の人混みの中、忠犬ハチ公と上野先生みたいにやっと我が愛犬を抱きしめ、安堵で涙ぐみ、必殺の舞をグルグル踊り始めた全然忠犬じゃないバンをダッシュで連れて帰った。

そんな彼ももういない。フランダースの犬みたいに天に召されてしまった。
今でも、あの時、うれしそうに走り出していったバンの姿を思い出す。
きっとホントはああやっていつも自由に走りたかっただろう。
犬を一日中ほとんど鎖で繋いでおくなんて本当に残酷なことだ。かわいそうなことをしてしまった。

私はもう、ボールをポーンと遠くに投げては犬がそれを取りに行き、くわえてもどってきたらまた投げる…という何が面白いのかよくわからないが犬はなんかすごく楽しそうな例のアメリカのお金持ちみたいな遊びができる、犬を放しがいにできる、マツダスタジアムぐらいの広さの芝生の庭付きの家を買うまでは犬は飼わん!つまりもう一生飼わん!
そんなこんなで今年は戌年です。
あけましておめでとうございます。
(おわり)

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