来年もきっとゼロ

毎年1通だけ年賀状を頂く。
「マジかよ、1通だけかよ。哀れなヤツ。プププ~!」
と笑われそうだが、自分でも笑う。
我ながら1通って。プププ~!

 

しかし、シンジくんからエヴァに乗る才能を完全に抜き、アスカをはじめとする女性キャラへの性欲と他人への恐怖心だけは残し、パーマにして歳をとらせたような、まっとうな人づきあいがほとんどできない社会へのシンクロ率0%に近い私なんぞには、1通だけでも、もらえるだけ御の字である。

 

そのありがたい1通をくださるのは、昔、東京で1人暮らしをしてた頃、バイト先でお世話になった社員のYさんだ。

 

Yさんはマジメな大人の男性だった。
前歯が全部溶けてロレツの怪しい、素性も怪しい、全然敬語使わない10代のアルバイトの子に対しても、いつも敬語を使ってキチンとおだやかに接しておられた。

 

私は、なぜか特に親切にして頂き、時々食事や酒をおごってくださった。
誕生日にカップラーメンを箱ごと頂いたこともあった。貧困にあえぐ私を心配してくださったのかもしれない。
その会社を辞めてもう10年以上になり、私は東京からも去ったのだが、今だに毎年、丁寧な手書き文字で簡潔な近況をそえた大人な年賀状を、キチンと元旦に送り届けて下さるのである。

 

一方、私はと言えば、自分からは誰にも1通も年賀状を出さず、唯一頂いたYさんからの年賀状に対して、遅れに遅れて「正月休み終わってるだろ」って頃にやっと「やべえ!」とか言って返事を出す始末。
しかも使うハガキはコンビニに売ってる干支のイラストがあらかじめ描かれた有り物。
それに「年賀状ありがとうございます!遅れてすみません!」とかしょーもない文を汚い字で2,3行チョコッと書き加えただけ。
「一応マンガとか描いてるんだから、オリジナルイラストで出せや」と言いたい。自分に。

 

ふと思った。
「自分はいったい何をしているのか?」と。
親しみを込めてしたためたハガキが一方通行であった時のYさんの寂しさたるや、いかばかりか?
自分が逆の立場なら、どう思うか?
きっと、せつないはずだ。
そして
「ワシは出したのに、アッチからは来とらんっ!」
という哀しすぎて絶対言いたくない「年賀状あるある」をシャウトしてしまうかもしれない。
自分はもう何年もずっと、Yさんにそういう思いをさせてきたのだ。
にもかかわらず大人で優しいYさんは、衣食足らず礼節も知らないダメ人間の私に、毎年、年賀状を出し続けてくれているのだ。とっくに出すのを止めても、おかしくなかったのに。

 

自分を恥じた。
今年からは元旦に届くように、Yさんにキチンと年賀状を出そう!それが仁義ってもんだ!大人っていうもんだ!
…と子供でも普通に考え実践している当たり前のことを、子供がいてもまったくおかしくない年齢になってやっと大決心。
年末で気が狂うほど忙しい仕事の合間をぬって、何とかやっと下記のような年賀状を描き上げた。↓

あけましておめでとうございます

 

「今年の干支である羊を数えながら、まどろむ麗しい婦人」
…のコンセプトで描き始めたが、3秒ぐらいで「麗しい婦人」を描く画力なんか無いことに気づき変更。
結果的に「羊の悪夢に苦しむパーマのワシ」の絵になってしまった。
それに、正月らしい文章を書き加え(絵と全然合ってないけど)何とか完成。
我ながらビックリするぐらい下手だが、仕方ない。
こういうモノはウマイヘタより真心が大切なはず。
製作期間約1週間。時間にして12時間以上はかかっただろう。
仕事でクタクタで、布団にもぐり込みたがる体を、何とかやっと机に引きずり戻し、毎日少しづつコツコツ作業を進めた。
苦労して描いたその真心はきっと伝わるはずだ。
クリスマス前に投函を完了。これで元旦には確実にYさんの元に届く。もうせつない思いをさせずにすむ…
心地よい達成感と安堵が私を包んだ。
自分なりにYさんに筋を通した誇らしさで体が躍動してくるのを感じ、そのまま年末を乗り切り、職場で除夜の鐘を聞いた。
そして晴れ晴れとした気分で新しい年を迎えた。

 

しかし、今年はついにYさんからの年賀状は来てませんでした。
「ワシは出したのに、アッチからは来とらんっ!」

(おわり)