こだまさんの「夫のちんぽが入らない」は発売日に予約していた書店に買いに行った。
「本屋にちんぽが並んでいるのが見たい」と思い、店内を回った。
しかしどこにもない。
店員さんに聞いてみると「発売日前日に入荷して即日完売した」とのことだった。
以前、このブログで「夫のちんぽは入らなくても、ブックランキングにはズボーン!と入るのではないだろうか?」と予想したが当たった。シッカリ入っていた。ネット、テレビ、雑誌などなど…様々なメディアが取り上げ、ちんぽが盛り上がっていた。
1つ残念だったのは本書の売り上げがビンビンにそり上がっていくのに、なぜか「王様のブランチ」のブックコーナーで取り上げられなかったことである。
「今週のブックランキング1位は…夫のちんぽが入らないです…」と司会の新川優愛ちゃんの口からちんぽが飛び出す夢のような瞬間を地球上の全男子が毎週土曜、テレビの前で正座して固唾を飲んで待ち続けていたのに叶わなかった…っていうか司会の人、変わってた。新川優愛ちゃん、ちんぽに追われるように辞めていった。
SNSやブログに上がったたくさんの感想の中で一つ、とても印象に残ったツイートがあった。
こだまさんが本作の原型となるエッセイを発表した今や伝説の同人誌「なし水」。その参加メンバーであり、ブログ「今夜は金玉について語ろうか」で、私などは金玉が縮み上がるぐらい面白いコラム&マンガを発表しておられるたかさんの次のツイートである。↓
夫のちんぽが入らない。駅のホームで人生には意味があると終わった漫画があったけど、この物語の終わる場所も良いなと思った。本のサイズも頭と同じぐらいで置きやすい。ぜひ。 pic.twitter.com/1iRPBVkqq7
— たか (@ketuge) 2017年1月13日
この「駅のホームで人生には意味があると終わった漫画」とは業田良家先生の業泣必至の超名作「自虐の詩」のことだと思う。
「夫のちんぽが入らない」を読んだ時、私もこのマンガ史上永遠不滅の金字塔のことをちょっと思い出した。
どちらも、重たいマイナスを抱えた1人の女性が血まみれの地獄めぐりの果てに「自分の人生には意味があった!」と確信する物語。そしてどちらもどうしてもラストで泣いてしまう。
「夫のちんぽが入らない」の最終ページのあの一行。
私の声、届くだろうか。
ここでどうしてもダメである。何回読んでもダメである。スイッチを押されたように滝涙がドバッと!
なぜだろう?
私は子供どころか結婚もできない人生だった。
自分のような人間はそれでいいし、それがいいと思っている。
しかしそういう人間に対し
「早く結婚しなきゃ」
とか
「人っていうのは結婚して子育てをして一人前になる。その経験が無いヤツは半人前。」
など、耳を疑うような信じられないことを言う信じられない人が信じられないぐらいたくさんいるのである。
私は人様のことをとやかく言えるような立派な人間ではない。だから別に怒ってないし悪口を言うつもりもないが、人に見せていない部分の、育ちや背景ぜんぶひっくるめて、その人の現在があり、そして目の前のその人がさんざん考え、悩み抜いた末に出した決断を、そう生きようとした決意を、軽々しく否定するようなことを何も考えずに言える時点でもう人間的にどうしようもなく半人前なのは明らかであり、結婚や子育てなんぞしたところでクズはクズなのもこのことにより明らかであり、そういうことをヘラヘラ言いやがるお喋りクソ野郎は蝶よ花よと大切に育てあげた一人娘が将来最終的にハードコア・スカトロAV女優として華々しくデビューしてだいぶションボリしろ!と思った。
悪口はさておき、この小説の「私」は「愛する人とセックスができない、そんな自分は異常なのではないか?」という想いを抱えている。
そして同じ悩みであればもちろん、種類は違っても、「私」と同じように何かしら拭いさりがたい呪いのような劣等感や孤独、悲しみ、生きづらさを抱えている人は、本作に深く共感し涙を流すのではないだろうか?
それにしてもこだまさんは文章がうまい。
私は読書中、名文があるとそこに付箋をする。
このコラムの最初の写真は私のちんぽだが、付箋まみれなのはそういうワケである。
作品の賛否が分かれてるらしいが、アンチんぽの人もこだまさんの文才だけは認めざるを得ないと思う。
特に比喩表現の巧みさは見事としか言いようがない。
女として生まれ、ベルトコンベヤーに乗せられた私は、最後の最後の検品で「不可」の箱へ弾かれたような思いがした。
母は気持ちに余裕がなくなってくると、すうっと能面のように表情が固まり、目だけがつり上がる。引き潮のように母の血液がどこかへ戻ってゆくのがわかる。沈黙を経て、やがて一気に押し寄せるのだ。
布地の食い込んだファスナーを無理やりこじ開けるような、犬小屋に軽四を押し込むような、恐れと頼りなさを感じながら、めりめり、めりめりと裂けてゆく。
なぜこんな文章が書けるのだろう!
本作ではオミットされているが、こだまさんは以前、新聞記者をなさっていたとのこと。この素晴らしい文章力はその時に鍛えられたのだろうか?
この「たとえ」のうまさをたとえて言うなら……言うなら……何か……こう……
全然いいたとえが浮かばん!
そしてこのモノ凄い筆力で描かれる学級崩壊、精神のバランスの崩壊、夫以外の男たちとのセックス依存…という展開がモノ凄い。読んでて「そっちに行っちゃダメだ!やっちゃダメだ!」と叫びそうになった。
男たちの生々しさ、特に「山に欲情する男・アリハラさん」の静かなるキチガイっぷり。モノ凄かった。
この中盤の展開、職場や学校が地獄で、明日が来ないことを、夜が永遠に明けないことを願ったことがある方は身につまされるのではないだろうか。
壮絶な物語だがそれだけでなく、ギャグも最高だ。ずっとブログを読んでいた方はご存知だろうが、こだまさんのギャグ文章の才能はホント最高だ。
パソコンを食い入るように見つめる夫を、戸の陰から食い入るように見つめた。
狂い乳の日がやってきた。
…のくだりでは笑い狂いそうになった。
主人公の「私」の抱える孤独に共感し、壮絶な展開に息を飲み、ギャグに爆笑し、最後は号泣!…という本当にすごい小説だった。夢中であっという間に読んだ。
装丁も素晴らしい。購入した方、銀箔のような文字が美しい表紙カバーをはずして夜の星座をご覧になったろうか?そしてあの驚きの「あとがき」。隅々まで本当に凝っている。手がけた方の愛情が伝わる作りだ。こういう本を手にすると「ああ、やっぱり紙の本っていいなあ。」と思う。
読後、「あとがき」が途中で直筆に変わるのはなぜか?考えていた。
私は10代の頃からずっと書痙なのだが、この症状がある者にとって、人の目に触れるものを直筆で書くという作業には大変な緊張、苦痛がともなう。たとえば履歴書やマンガの手書き文字など。
もしかするとこだまさんも、例のご病気の症状もあり「あとがきを直筆で書く」というのは非常に重たい、気が遠くなるようなつらい作業なのではないか?そしてこの渾身の一作に身を捧げるように、魂をきざむように、いつか万一症状が進んでしまう前に、あえて苦しいやり方を選んだのではないか?
もしかするとインタビューなどですでに話されており、全然違うかもしれない。なのでこれは勝手な想像だがそう思った。
その「あとがき」に「この本を通して、みなさんと関わることができ、私はとても幸せだった。おかげで、あの春の即売会の熱が、私の中でずっと続いている。」とある。
その即売会の様子は、参加なさったたかさんのブログでうかがうことができる。
たかさんの文章が天才的に面白く、現場の熱、高揚感が伝わってくるようだ。特にたかさんがこだまさんや爪切男さんたちにオッパイをもまれるとこの微笑ましさときたら!こだまさんにとって、ついに出会えた気の合う仲間たちとの遅れてやってきた文化祭のような、喜びに満ちた幸せな時間であり、大切な思い出なのではないだろうか。これも勝手な想像だが、歳のせいか何かこういうの泣けてしまう。
■「なし水」即売会の様子 ↓
■その次の同人誌「ペンネの日記」即売会の様子 ↓
ところで、これだけ売れたのだから映像化されるのは間違いないだろう。
映画化の場合、監督は、真木よう子さんに舌出し強要ディープキスをさせ、松たか子さんにオナニーをさせた西川美和監督か、池脇千鶴さんに手コキをさせた呉美保監督がいいのではないだろうか?
お二人とも「ちんぽがナンボのもんじゃい!」な、極太映画魂を持つ素晴らしい監督だ。
女性でありながらちんぽを出したこだまさんや、「このタイトルはちょっとありえない」という反対意見もありまくる中、タブーを断固としてちんぽで貫いたという編集の高石智一さんたちの、この本にかけた熱い想いにきっと応えてくれると思う。タイアップまみれのヌルい映画にはしないはずだ。
主演はどなたがいいだろう?夫の役は?ミユキの役は?
いや、映画じゃなくてNETFLIXなどでドラマ化するかもしれない…
その時はまた刷を重ね、より多くの人にこだまさんの声、届くだろう。
この名作の熱はきっとずっと続く。
(おわり)